だいたいハタチ

歳は18。勝手な肩書きはデザイナーとおもちゃクリエイター。かいじゅうのおもちゃの可愛さを分かる同士求ム。

沖縄の移民 その2 ハワイ まだ移民は始まらないよ 編

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こんにちは、だいたいハタチです。

春になり、新一年生になりました。

 

たくさんの友達もできました。

大きくなったら、友と盃を交わしつつ、未来に向かって無我夢中になっていたあの頃の他愛もない話をして夜明けを迎えたいです。

 

盃を交わすまであと2年です。

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(だいたい、こんな顔)

 

移民史に興味があるだいたいハタチ。

沖縄の移民が最初に選んだ土地はハワイ。

 記事一つ分では全然まとまらないので4回に分けて出していくヨ!

 

第一弾は、“ハワイ”という土地の歴史を解明していこう!

 

 

始まりの地 ハワイ'イ。

ハワイの発見

18世紀の産業革命で世界の頂点に君臨していたイギリスは、さらなる資源を求めて海に進出したのでした。

 

イギリス人の航海探検家キャプテン・クック船長もその一人です。

 

1778年。彼は太平洋の航路を開拓するという野望を掲げて海を突き進んでいたある日、

ハワイのオアフ島、カウアイ島、ニイハウ島を発見しました。

(一部の文献にはオアフ島、カウアイ島、マウイ島、ハワイ島と掲載されていた。)

 

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キャプテン・クックは、この島々を“サンドウイッチ群島”と名付け、世界に発信したことで、島の存在が認知されていくのでした。

(これまでにハワイ諸島に西洋人の難破船が漂流した過去や、クックが訪れる200年以上も前に、すでにハワイが描かれていた海図も存在するが、クックは明確にサンドウイッチ諸島として発信したことで、“第一発見者”として語られている。)

 

ハワイは戦国時代真っ只中。

 

 

 神様がやってきた!

1779年。キャプテン・クックは再びハワイに訪れました。

今度はハワイ島のケアラケクア湾(意味:神への通路)に姿を表したクック。

 

大きな白い帆を張って神への通路からやってきたクックたちは、ハワイの先住民に神様“ロノ”がやってきた、と思われ歓迎されました。

 

先住民にとって

  • 季節はちょうど、神様“ロノ”へのお祭りをする マカヒキの時期。
  • “ロノ”の象徴はロノマクアと言われる十字の棒に白い布をかけたもの。
  • そして、ハワイの先住民で“ロノは再来する”と予言されていた。

クックたちは神様“ロノ”がやってきたと思い込むにはあまりにも条件が揃いすぎていたのでした。

 

その後、キャプテン・クックはハワイの先住民とのちょっとした揉め事で先住民に襲撃され、命を落としたのでした。

 

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キャプテン・クック、ボタンが3つ足りないの。)

 

 

 西洋人がもたらしたもの

キャプテン・クックによると、当時ハワイに生息していた生き物は

ネズミ、犬、白鳥、コウモリ、豚などにすぎなかったそう。

 

クックは1778年(1回目のハワイ訪問)でニイハウ島にヤギを放ちました。

 

それからというもの西洋人は(日本からもあるけど)ハワイに多くのものを輸入してきました。

牛や馬、ムカデ、ミツバチなどの動物や

柑橘類、ぶどう、マンゴー、チョコレートなどの植物たち、

 

性的感染症やペストなどの伝染病、

 

 

そして、武器です。

 

18世紀。まだまだハワイは戦国時代です。

各地で、島のトップを巡る争いや、他の島を侵略する争いが行われていました。

 

ハワイアンのトップたちは、西洋人が持ち込んできた武器に目をつけて、勢力を拡大することにしました。

 

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(カメハメハメハメハ〜)

 

のちに“天下統一”を果たすことになる、カメハメハ大王率いる軍団は

  • 西洋人を味方につける
  • 西洋人からみっちりと武器の使い方を学ぶ
  • 独自のルートで武器をしっかり確保する

戦いへの備えを綿密に行っていったことで

1796年、その萌芽を生み出しハワイ王国が誕生したのでした。

 

カメハメハ大王は別名、“太平洋のナポレオン”とも言われています。

 

 

捕鯨時代の到来

捕鯨船がやってきた!!!!

時は進んで、1819年。

ワイ島のケアラケクア湾に、捕鯨船がやってきました。

アメリカからやってきたバラエナ号 “Balaena” とイクエーター号 “Equator”です。

 

電気も、ガスもない時代なので、当時の先進国はクジラを捕まえて油を抽出し、鯨油としてエネルギーを売買していました。

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(無題)

   

ハワイに捕鯨船がやってきた時には、すでに大西洋のクジラは捕獲し尽くされており、太平洋のクジラを争奪するべく、アメリカ、イギリスのなどから捕鯨船が連日やってきました。

 

先進国は、捕鯨漁場の支配権を巡って争っては、ハワイ侵略も目論んでいました。

 

 

ハワイ争奪戦

文献によると、

“Honolulu, Lahaina, and to a lesser extent, Kealekekua Bay and Hilo, became welcome stops for whalemen. English whaling and sealing crews knew of these places at least by 1810, as their Southern fishery made its delayed but insistent push north of the equator.”

(ROBERT LLOYD WEBB, 『ON THE NORTHWEST Commercial Whaling IN THE Pacific Northwest 1790=1967』, p.31 l.24-27)

 

 

“(前略)ホノルル、ラハイナ、比較的規模は小さいがケアラケクア湾、そしてヒロは捕鯨船の停留所となった。イギリスの捕獲船の乗組員たちは、少なくとも1810年には、クジラやアザラシがこの水域にいることは知っていたが、南部の漁業者が彼らの進出を遅らせていた。しかしアメリカのエクエーター号は北へ押し切ったのだった。”

 

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(ちなみに、最盛期には年に596隻もクジラを捕まえる船がやってきた…!)

 

だいたいこんなニュアンス。(翻訳力上がったら直しに来るね)

 

この文献が表しているのは、アメリカの野心さでした。

 

 

“イギリスは、ハワイにクジラがいるっていう情報を知っているのにも関わらず、進めなかった。

でも、アメリカは insistent (しつこい、執拗)に push(押し切る)した。”

 

 

かつて、ハワイは2回ほど、イギリスの領土になりました。

1度、ロシアの土地にもなったことがあります。

あと、2回フランスにも。

 

しかし、武力や混乱の中での支配はそう長く続かず、

ハワイとの関係を緻密に練っていったアメリカが、ハワイを州の一部として獲得に至ったのでした。

 

緻密なワザ

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(じわじわと。)

 

じわじわと、ハワイの人々の暮らしの中にアメリカが介入していきました。

アメリカ側から“ハワイ併合条約締結”の締結も要求されるようになりました。

 

ハワイは小さな島国なので、

自国を守るために常にどこかの国に依存する必要がありました。

 

そんな中、ハワイの国王は日本を訪れることにしたのです。

 

世界一周をしたハワイの王様が明治天皇に縁談を持ちかける!?

 

時は、7代目のハワイの王様が国を治めている時代まで進みます。

当時の王様の名前は“カラカウア王”でした。

(カメハメハ一族から選ばれるはずの国王の後継が、流行病で途絶えてしまったため、アメリカ側からの支援を受けて国王になった人物です。)

 

各国から移民を受け入れ、ハワイは製糖業で潤っている頃。

1883年。カラカウア王は、ハワイの窮地を挽回するために世界一周の旅にでることにしました。

 

そして、航路の途中、お忍びで日本にやってきたのでした。

 

(前略)「ハワイ公文書保管局蔵・渡辺七郎『布哇歴史』より引用として、アームストロングの『カラカワ王世界旅行随伴記』の関係箇所を記された。それによれば、

(中略)

  国王のこの計画が日本天皇陛下によって御嘉納になってゐたらハワイは日本領土となる経路をとるに至つたであらう。

とあって、その主要点は、

 一、会談はハワイ皇帝の方から、突然、申し出られた。

 二、その内容は、アメリカのハワイ征服を未然に防ぐ為に、日本の皇室とハワイの王室との間に婚姻関係を結びたいといふ御希望であつた。

 三、その後、明治天皇はこれを謝絶された。

ということであるが、この最後の部分に、明治天皇が、もし、これを御嘉納の場合は、ハワイは将来、日本の領土になっていたであろう、と記されていることである。

(中略)

もし、天皇がこれを御嘉納の暁には、ハワイに野心満々のアメリカが、必ず、両腕を広げて日本の前に立ちはだかり、非常な干渉、あらゆる圧力を加え、防碍、抑圧の果は、日本との戦争にまで持ち込まな買ったであろうか。そうした場合、英、仏、露のヨーロッパ列強は必ずこれに介入し、彼我、如何ように分れ、勝敗いづれに帰そうとも、その勢力はアジアに扶植せられ、アジアは彼等の壇断に帰し、日本の命運も予測し難い事態に立ち到りはしなかったであろうか。

(難波江通泰,「布哇王國皇帝の明治天皇との御密談について-大東亞共榮國の首唱-」,p.139-141)

 

文献には続きがあり、著者は縁談以外に、カラカウア王と明治天皇がどのような御密談をなされていたのかをさらに追求していました。

 

その中で『明治天皇紀』(明治天皇紀 第5とみられる)引用もされ、よりカラカウア王の西欧諸国に対する考え方が露わになっていくのでした。

 

皇帝、曰く、「今次、巡遊の主旨は、多年希望する所の亜細亜諸国の聡明を起さんとするに在り。欧米諸国は、只、利己を以って主義と為し、他国の不利、他人の困難を顧みることなし。而して、其の東洋諸国に対する政略に於いては、諸国、能く総合し、能く協同す。然るに、東洋諸国は、互に孤立して相援けず。又、欧州諸国に対する政略を有せず。今日、東洋諸国が、其の権益を欧州諸国に占有せらるゝ所以は、一に此に存す。されば、東洋諸国の急務は、総合同盟して東洋の大局を維持し、以て、欧州諸国に対峙するにあり。而して、今や、其の時機、方に到来せり。」と。

(難波江通泰,「布哇王國皇帝の明治天皇との御密談について-大東亞共榮國の首唱-」p.147 『明治天皇紀』を再引用

 

 

ハワイにやってきた日本人の移民の誠実さ、ひたむきさによって生まれた日本国への信頼感が、“ハワイを安泰に導いてくれる”という結論に達し、カラカウア王は縁談を持ち込んだのでした。

 

そして、自国の安泰のために西洋諸国に虐げられてきた東洋(アジア)の国々と団結し共に戦うことで、独立国ハワイの西洋に屈しない姿を世界中に轟かせたかったのです。

 

ハワイの王が日本に決めたきっかけは…移民でした。

 

密談では、カラカウア王から天皇へ“亜細亜諸国の総盟の長は日本であってほしいと”胸の内を話した記録が残っています。

 

それほど日本が頼みの綱だったのです。

これはハワイに日本の移民が初上陸して20年後のお話でした。

 

では、日本人がハワイの地へやってきて、労働者として生活をしていく上で、

なぜこれほどまでにハワイからの厚い信頼を獲得することが出来たのでしょうか。

 

次の記事からやっと、移民史について触れていくヨ!

続く。

 

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(だいたい、こんな字。 ひとこと:体術習いたいなあ。)

 

 

文献:

「ON THE NORTHWEST Commercial Whaling IN THE Pacific Northwest 1790=1967」

by ROBERT LLOYD WEBB  

UNIVERSITY OF BRITISH COLUMBIA PRESS・VANCOUVER 1988

https://books.google.co.jp/books?id=Be_aof1XlwsC&dq=Equator%E3%80%801819%E3%80%80Hawaii&hl=ja&source=gbs_navlinks_s

 

著者 難波江通泰 雑誌名 國士舘大學武徳紀要 発行年 1987年3月

論文名 「布哇王國皇帝の明治天皇との御密談について-大東亞共榮國の首唱-」

紀要論文 出版社 國士舘大學武道徳育研究所

https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=7819&file_id=189&file_no=1

 

 参考文献:

編集 ハワイ日本人移民史刊行委員会 発行日 1964年4月20日

書名 『ハワイ日本人移民史 A History of Japanese Immigrants in Hawaii』

出版社 ハワイ日系人協会

 

原本は 編著 木原隆吉 発行日 不明 書名『布哇日本人史』 出版社 東京文成社

作成 沖縄県立図書館 複製 (有)沖縄マイクロセンター

書名 『比嘉春潮文庫 布哇日本人史 第一巻 布哇事情概論 第二巻 日本人社会變遷史』

 

 

【神様がやってきた!】

記事名 ハワイ昔話03/カメハメハ歴史に登場 掲載日 2018年6月8日

制作 HIschoop!ハワイスクープbyLeaLea 

https://www.hawaiiscoop.com/?p=49768

 

【西洋人がもたらしたもの】

著者 目黒志帆美 公開日2015年4月10日

論文名「王権とフラ-ハワイ王国における先住民文化政策-」

博士学位論文 東北大学機関リポジトリTOUR

https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=71705&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

 

捕鯨船がやってきた!!!!】

「Why was the Industrial Revolution British?」 by Robert C. Allen ,15 May 2009

Professor of Economic History at Oxford University 

 翻訳 COE研究員,田中清泰

http://gcoe.ier.hit-u.ac.jp/vox/009.html

 

【緻密なワザ】

【世界一周をしたハワイの王様が日本の天皇陛下に縁談を持ちかける!?】

著者 難波江通泰 雑誌名 國士舘大學武徳紀要 発行年 1987年3月

論文名 「布哇王國皇帝の明治天皇との御密談について-大東亞共榮國の首唱-」

紀要論文 出版社 國士舘大學武道徳育研究所

https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=7819&file_id=189&file_no=1