だいたいハタチ

歳は18。勝手な肩書きはデザイナーとおもちゃクリエイター。かいじゅうのおもちゃの可愛さを分かる同士求ム。

沖縄の移民 その1

 

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こんにちは。大きくなったら、彼氏から真っ白なバスローブをプレゼントされて身にまといたい願望がある、だいたいハタチです。そして、あわよくば喜んでいる姿を写真好きな彼に撮られたいです。(いない)

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だいたいこんな顔

 

 

 

沖縄といえば海。二時間の散歩は体にも心にもいい。

沖縄生まれ、沖縄育ちのだいたいハタチ。

沖縄といえば青い海、白い砂浜、照りつける太陽をイメージすると思いますが、じつはその通りなんです。大正解。

 

ところで、いきなり、私の心に残る海の思い出を紹介したいです。

高校3年生の夏休みに、すごい暇で暇でお家を飛びだして、人生で初めて片道2時間のお散歩を決行したことがあります。

 

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(あの日、私は世界でいちばん美しい夕焼けを見た。)

海のそばをひたすら灼熱の太陽に照らされながら道を歩き続け、喉がカラカラに乾いたあのとき、忘れもしない出会いがありました。

 

道ゆく人に挨拶しながら突き進んでいくと、道路でサーフボードを洗うご主人と目が合いました。察したように、甘くて酸味のあるシークヮーサージュースを出してくれました。(太陽に焼けたイケメンな救世主でした。)

 

ご主人の正体は、奥さんと沖縄に移住してSUPという水上の遊びのインストラクターをやりつつ民泊を運営している方でした。

いただいたジュースをゴクゴクと音を立てながら飲みほし、お礼に、何やら忙しく準備しているお二人のお手伝いをしました。

 

二人は”夕方にSUPをこぎにやってくるお客さんと、宿泊してくるお客さんをを歓迎するために、準備している”そうです。

 

夕方。

のんびり海に浸かりながら、奥さんと海のなかで沈んでいく夕日を眺めつつ、隣で旦那さんがお客さんにSUPを楽しんでいました。

 

SUPをしながら、民泊をしながら、ジャムを作って、旅もする。

好きなことをやりながら生きている奥さんの夢は、”働かないでお金を稼ぐこと”でした。

 

この出会いをきっかけに、私は将来、ジャーナリストとして、興味のある分野を探求しながら、ライターとして文字に起こして、おもちゃをクリエイトしつつ、デザインもしていって、彼氏からバスローブをプレゼントされたいなあって思うようになりました。

 

皆さんもぜひ沖縄にくるときは、2時間散歩してみてください。運が良ければ、あの夫婦に会えるかもしれません。

 

ただし、沖縄の魅力はそれだけではありません。

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(実は明確な区別はなく、曖昧)

沖縄本島を北部、中部、南部というふうに三分割すると

北部にはヤンバルクイナなどの固有種や天然のビーチなど”沖縄の自然”

中部はかつてアメリカの領土だった歴史が今なお残る”アメリカン”な側面、

南部には琉球王国時代の遺跡や文化が残っている”文化的な沖縄”が存在します。

 

 

 そんな琉球列島の中のひとつのシマ、沖縄本島でさえ地域ごとに特色溢れる不思議な県なのですが、 ”国土面積のたった0.6%を占める沖縄に米軍基地の70%が集中している” という事実をご存知でしょうか?

 

 

基地のシマ沖縄。その割合は、0.6のなかの70なんです。

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参考 https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/sugata/begunkichi.html

 米軍基地の施設を負担している市町村に色を塗ってみました。上下二つの地図を照らし合わせてみると、北部や中部に集中していることがわかります。

 

私は生まれも育ちも沖縄なのですが、米軍基地のない地域ですくすく育ってきました。どこなのかは秘密です。

 

実際のところ、ニュースで見るような基地前で抗議している様子を見たことがありません。(なぜなら、基地のない地域で育ったからです。)

 

近くに住んでいる住民の気持ちでさえ想像できませんでした。(なぜなら、以下略)

 

テレビで抗議活動の報道や、騒音が何デシベルかという報告を見るたびにどこか遠い世界の話なのではないかと思っていました。(n 以下略)

 

しかし、私、だいたいハタチはそして身をもって痛感するのでした。

2018年末、あるきっかけで、基地負担している市町村へ引っ越すことになったのです。

 

 

基地とは疎遠の生活から一転、驚きの日々でした。

 

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(本当に、世界が違ってて驚く。)

基地のある暮らしがどういうものか知りたくて、過去に知り合いに話を聴きまくったこともあります。

 ・基地の境界線として佇むフェンスに”銃弾が飛んでくるので注意” という注意書きがあるが、車通りの多い道のそばなので、よけようがない。もしも銃弾が飛んできたら最悪の場合も。

・授業中に飛行物が上空を通過するようなことがあれば(たとえ行事の運動会でさえも)騒音がおさまるまで授業を中断しなければなく、とても集中できるような環境ではない。

………

 

実際に近くに住んでみて、ただ漠然と”基地に影響され続ける人”ではなく、当事者として基地はどうであるべきなのか考えるようになりました。

2018年末といえば、全国的にも沖縄の基地問題に関連したニュースが増えていったと思います。その鍵を握るのが、”普天間基地辺野古基地を巡る問題”なのです。

 

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(大枠の図解)

沖縄の普天間基地辺野古移設を巡るこの問題は、20年前から繰り広げられており、とても根深い話です。わかりやすくまとめてくださっている方がいるので、貼らせていただきます。

  

▽基地に関する記事

bilingual-news.com

 

 

沖縄の知事選挙。

沖縄の県民投票。

私は一人の県民として、当事者として理解し、考え、自分の選択した行動を信じました。

 

2018年12月8日世界中で大きな変化を生んだこの日。

ご先祖様が沖縄からハワイへ移住した県人4世の彼を筆頭に、アメリカのホワイトハウスに沖縄の基地移設の中止を求める署名活動が開始されました。

 

ホワイトハウスへの署名運動に関する記事

hbol.jp

 

 

移民の話。ここが本題なの。

今回のタイトルの”移民”。

第一次世界大戦後の貧しい暮らしから抜け出すために、ウチナーンチュのご先祖様たちが沖縄からハワイ、ブラジル、フィリピンなど世界各地に飛び立っていったのが移民の始まりと言われています。

この頃の沖縄は、毒がある食べ物にも手を出さないと生きていけないほど困窮していました。(後に、ソテツ地獄と呼ばれる)

 

基地問題の話が、移民に繋がったのは、

彼ら県系人が、世界各地で1世が残した沖縄の文化を継承し、沖縄が窮地に陥ると、手を差し伸べ、声を上げてくれる大切な世界のウチナーンチュだからなのです。

 

沖縄の歴史を振り返ってみると、

沖縄では第二次世界大戦中に、”地上戦”と呼ばれる戦いがありました。

たくさんの女性、子供、高齢者、兵隊、アメリカ兵がこの地沖縄で亡くなりました。

この歴史を決して忘れさせないかのように、地中深くに埋められた不発弾たちは、私たちに見つかる日を迎えるまで、じっと身を潜めています。

 

戦後、沖縄の自然が残る北部の木々たちを伐採し、人々は家を建てました。

それでも、半年に渡る戦争によって食べるものはすでに食べ尽くされ、人々を今度は飢餓が襲いました。

そんな中、ハワイに飛び立った移民たちが沖縄のために大量の豚を送ってくれたのです。

 

▽ハワイの移民に関する記事

www.archives.pref.okinawa.jp

 

 

沖縄の味方は世界中にいるって、どこかの誰かが言ってた。

実は私、だいたいハタチは過去に、移民の歴史やハワイ文化を学ぶためにハワイに2度留学した経験があります。

 

現地で出会った県系人は "I'm Japanese" ではなく ”I'm Okinawan" と、沖縄に誇りをもっており、ご先祖様の出身地をもとに、どこがルーツなのかまで教えてくれました。

住む場所は違えど、気候や人のおおらかさ、かつて沖縄もハワイも王国だったという歴史など、取り巻く環境がより一層沖縄とハワイの繋がりを深くしていったのかもしれません。

 

沖縄のポーク玉子(おにぎり)とハワイのSPAMmusubi

日本のマグロ丼とハワイのpokebowl

日本の盆踊りとハワイの盆dance

 

各国の人々が混じり合うハワイで、日本と類似しているものがあるのは、私たち日本のご先祖様がハワイにもたらしたものなのか、それともたまたま偶然の一致なのか。

もっと追求すべきなのかもしれません。

つづく。

 

 

*この記事はあくまでも辺野古基地、普天間基地問題に対しての意見ではなく、沖縄の移民を追求していくという内容です。